2012年4月28日土曜日

アイデアの生み方

今日は実用的にアイデアの生み方について考えてみよう。
まず僕は『思考の整理学』の内容を少し引用しようしようかと思う。

著者はアイデアは机の上で考えていても生まれてこない。
何かをしているときに生まれるものだという。

特に、電車の中、トイレの中、ベッドの中でアイデアが浮かびやすいという。

これについては僕は反論しないし、結構正しいと思う。
特に電車の中はいい。
あの揺れが何か影響をしているのかわからないが、とにかくあの時間で色々なことが浮かんでくる。

しかし、この三つよりもアイデアが浮かんでくる時間を付け足したいと思う。
それは授業中だ。

いや別に授業中に別のことを考えてるわけではないですよ。

ただ、授業ってのはいつも新しいことを学ぶことになるので、学んだことの中で、「これがあったか」と思うものが出てくるんです。

こういう授業の受け方もありだと思いますよ。
少なくとも受動的な態度ではなく、授業中に思考しているのでよいことだと思います。


ということを哲学の授業のときに思いました。
、、ちゃんと単位もとらなきゃね。

2012年4月22日日曜日

怒り

今日、ちょっと不快なことがあった。
そこからいくつか学ぶものがあったので、このエントリ。

とりあえず、事情を説明すると、
ある公共の施設を利用していた僕ら。

帰り際、僕は皆が帰った後ごみが散乱しているのを見つけた。
そこで、A、Bというやつと一緒に後片付けをして帰ることにした。

片付けが終わって、帰ろうとしたら既に施錠されていた。
因みに施錠をする人(後に出てくる守衛とは別の人物)は僕らが片付けするのをみていた。(つまり中に僕らがいるのを確認していたので僕らも施錠されることはないと思った)

助けを呼んだが時間がかかってなかなか来ないので、その門を飛び越えることにした。(公共の施設なので飛び越えるのはよくないが雨が降っているので、僕らも我慢できなかった)

やっと出られた僕らは守衛がいるところまできた。
するとそこには助けを呼んだCがいた。

飛び越えてきた旨を伝え、待っていてくれたことの感謝を言うや否や、
「いいから守衛の方に謝れよ!!」と怒ってきた。

状況を理解してないがとりあえず守衛に謝ると、守衛は
「これからは気を付けて。うちの職員にも言っとくけどさ。」

とりあえず、その場を後にしたが俺、A、Bは納得していない。
すかさず俺は「なんで俺らが怒られなきゃいけないの!」
といった。

そんな姿を見てCはなお怒っていたようだが、僕らは怒って帰った。
そのあとはそれぞれに文句を垂れていたが、誰が悪いのかを状況を整理しあって話して帰った。
因みにまだかなり怒ってます。

僕はいきなりCに怒られたのが納得できず、Cに対して怒りを覚えた。(あとから、守衛の言動にも問題があったと思うが、守衛の言葉は状況把握に頭がいっぱいで上の空だった。)

Aは当然Cにも怒っていたが、守衛の言動にも怒っていた。
少しだけ守衛の方に多く怒っていた。(彼はなぜか知らないが、公務員とかが嫌いだった)

Bは最初僕らと同じように怒ったが、すぐに怒りを鎮め、「怒っても何も生まれない」といった。
それを聞いてもなお怒りが収まらない俺とAに比べて彼はすごいと今考えてみると思う。

ということが起きた。

あとになって冷静になってみると、俺らと守衛とCはそれぞれ少し勘違いしているし、誤りだった。


僕らは、施設側のミスで閉じ込められたうえに、守衛の態度が悪かったから怒った。
それも、片付けをしてきたのに怒ってきたCにも怒りが湧いた。
また結局助けが来ないので自分たちで出たので、守衛には迷惑をかけていないので、注意される筋合いはない。

守衛は恐らく施錠する人が僕らを確認していたこと、なぜ僕らが帰るのが遅くなったのか知らないので、当然注意すべきだった。

Cは僕らが片付けをしていたことを知っていたかどうかは知らないが、とにかく僕らは守衛に迷惑をかけた。
いずれにせよ、今後も使う施設だしとりあえず謝っておこうという気持ちもあったのかもしれない。
助けを呼んだ時点でCは守衛に報告してもう一度開錠させようとしてくれたのかもしれなかった。
さらに僕らが守衛に謝ろうとしなかったうえに、それについて文句をいう僕にも怒ったかもしれなかった。

このような事情があった。
結果的には施設側のミスかもしれないが、少なくとも守衛に怒るのは少しおかしい。
ましてや俺がCに怒るのは誤り。


こんなことで学んだのは、怒りという感情は必ずしも怒るべき相手に怒っていないことがあるということ。(この場合怒るとしたら守衛に怒るべきだが俺は衝撃が大きかっただけにCに怒ってしまった)

あとは、怒っている状態でもはなしあっているうちに、状況がよく見え始めたこと。
状況を整理しなかったら未だにむかむかしていただろう。

あとはまあ皮肉だけど、いいことをしても報われないことはよくあるし、今回みたいに逆に災難な目に遭うこともある。
こんなときに腐らず、学べるものは学んだ方がお得だ。

これを書いてる今でも、頭の中では仕方ないと思いながらも少しむかむかしている。
だけど来年にでもこのことを思い出したら、いい経験だったと思うだろう。
それはただの怒りで終わらせず、新たな発見があったからだ。

2012年4月14日土曜日

反論

よく文章を書いていると、反論をしてくれる人がいる。
それは大歓迎で、寧ろこっちからお願いせねばならない。

だけど、なかには反論というより感想を言ってくる人がいる。
別にこちらはきにしなければいいのだが、「それで?」って言いたくなる。

感想っていうののはどういうことか。
Aといった俺に対して、Aは嫌いだ。
とか言う行為のこと。

俺は例えば事実関係しか述べていなかったりするのに、そこに勝手に意味づけをしてしまう人がいる。
それを価値判断とか言ったりするらしいのだが、俺が思うにこういう人はあまり議論などには向いていないと思う。

すぐ自分の尺度で考えてしまうので、自分という領域を出ずに考えるので成長も期待できない。
俺はとりあえず、価値判断を置いておいて、事実関係や主張を飲み込んで咀嚼していくという方法がいいと思う。
すぐに価値判断してしまうとそこで思考が止まるからね。

想像外

歴史とか勉強してると、普通の人間が考えないことを考え出す人がいることを知る。
相対性理論とか普通の人間には理解できない。

また、たとえそれが間違いだったとしても、自分の知らない世界について想像する人もいる。
地球の果ては滝になってるとか、恐ろしい怪物がいるとか。
宗教について難しいことを言うのは避けたいが、宗教上の逸話や神話もすべてではないにせよ、誰かが想像したことだろう。


こういう人たちはどうしてこんなに想像力が豊かなんだろうか。
それはたぶん、急に突飛押しもないこと考え出すのではなく、日頃の関心や考察の延長線上にあるのだろう。

そうなってくると、普通じゃなくて変な人がこういうものを生み出すのだ。
って言う人がいるかもしれないけど、それは違うと思う。

そもそも普通じゃない人ってどういう人なのかわからない。

言いたいのは彼らは単に興味がそちらに傾いていたからだ。
だからその点、彼女に溺愛するイケメンリア充は彼女に興味が傾いてるから変な人だし、
何事も関心がない人は(存在しないだろうが)、それはそれで変な人だと思う。

まあそういうこと。